aliens on a pink moon

日々感じたことの掃き溜め

自己紹介とブログ

 

初めまして。こんにちは。

私は、20代後半の女性です。高校の頃に心の病による行動化が始まって、約10年、紆余曲折を経て、今も病気と同居中の身です。

こんなに長く一緒にいるのに、今も上手な付き合い方を模索している最中です。なかなかうまく行きません。

個人的には、診断名にはあまり拘らない立場を取っていて、自分の病気も、はっきりとこれとは言いづらい状態ですが、別にそれでもいいかなと思っています。(対処の仕方が明確になるのであれば、その枠に収まっても良いかな、一時的にそう名乗っても良いかなと思っています)

病気との付き合い、これからどうなるか、自分でも予想はついていません。

 

ブログは今までにもいくつかやっていたことがあります。だけど、人に見せることを前提としないものになってしまい、結局日記へ移行したり、三日坊主になってしまったりすることが多かったです。このブログは一応、外に向けて、書くつもりです。そういう意識でもって始めたのは一つ、思うところがあるからです。

この10年、20年、色々なことがありました。辛いでは、幸せでは表しきれないことが沢山ありました。そのような事柄や、感じたことについて語る言葉を、私は長年の間、持たずに過ごしてきました。口をつぐみ、涙を閉じ込めていた期間に、心の中に沈殿したものたちについて、今、拙いながら、少しずつ説明をつけることができるようになってきたかなと感じています。こういう力は、遅まきながら、カウンセリングや、日記、記録、大切な人とのやりとりを通して、ゆっくりとついてきたものです。外に向ける言葉を持たなかった私は、イメージとしての「心の中の世界」を作り上げて、その中でとても長い時間を過ごしてきました。其処で考えたこと、感じたことについて、オン/オフ問わず、ほとんどの人たちにはあまり話をしていません(できていません)。病状によって、時折、生きることをやめてしまいたくなる時、毎回よぎる思いがあります。それは「私がこのまま消えたとしても、誰もその理由について本当の理解をしてくれる人はいないだろう」という虚しさです。家族も、友達も、その時は悲しんでくれるかもしれない、そのことについては申し訳がないけれど、きっと彼らはその後に、何らかの都合の良い物語を作り上げて、私の死について(それは私の生について、ということも意味します)、ある意味づけを行うだろうと私は推測します。その行為や内容は、彼らの問題だと思います。私が自分にとっての問題だと感じるのは、その後のことです。消えたくなることがあると書いておきながら、勝手なことに、私にはある恐れがあります。「人は二度死ぬ。」一度目の死は肉体的なもので、二度目の死は、忘れられることによって。重要なことを隠し通し続け、まだ語りを始めていない私には、そもそも二度目の死はあり得ないのではないか。もし(自分で選んだものではないかもしれません)一度目に死ねば、私の存在はほんとうに全く無かったことと同じになってしまうのではないか。そのことがなぜか、とても悲しく感じられるようになったのです。だから、おぼつかないけれど、少しの言葉を得た今、どこかの誰かへ、あなたへ、語り出そうと思いました。電脳の海に、手紙を詰めた小瓶を流すように。少しの祈りとともに。私はここにいます。そう知って欲しい。

 

そういう気持ちで開設したブログ、いつまで続くかわからないけれど、考えたことや、感じたことなどをマイペースに書いていこうと思います。続くかな・・・?

 

そう、自己紹介の続きです。病気は私の一部であると同時に一面であるに過ぎません。メンタルヘルス関連の話題にフォーカスしたり、そのような内容について言及したりする頻度は高いかとは思いますが、いわゆるサブカル女でもあるので、面白いなと思ったものや好きなものについて、語れたらなあと思っています。

 

 

始まりということで最初の1曲はこちら。

ゆらゆら帝国で考え中/ゆらゆら帝国

 

最後まで読んでくれた方、ありがとう。

よろしくお願いします。

 

 

www.youtube.com