aliens on a pink moon

日々感じたことの掃き溜め

時には(隙あらば)昔の話を

先日診察とカウンセリングに行ってきました。通い始めてからもう4年弱になります。

 

今回はクリニック通い始めらへんのこと振り返る回です。

自分語り全開

 

クリニックには自分から積極的に通い始めたわけではなかったです。4年前といえば、(今もそんなに胸を張れるほど変わったわけではないにしろ)思い出すだに恥ずかしいことを沢山しでかしていた時期・・・当時の恋人が、私の病気(だと思われるもの)の治療に力を入れているという看板を掲げているクリニックをネットで見つけてきて、私は何というか、放り込まれた感じでした。正直私はこんな扱い受けるようなメンヘラ女じゃないわとイラッときてました。カウンセリングと言っても、よくある来談者中心療法じゃなくて、私に課せられたのは認知行動療法でした。カウンセリングのはじめの1年くらいは、カウンセラーによる課題(例えば、「あなたにはこういう癖があるので、そのようなときはこのように考え方 / 行動を変えるようにしてください」)の提示と答え合わせのような形をとってました。当時は元恋人との関係がギスギスしていた & 完全に依存していたこともあって、これをやれば絶対に治るという主治医の言葉を藁にもすがる思いで信じて、言われたことに取り組み始めました。今思えば「絶対効く!」なんて胡散臭いセールスと一緒じゃんね~・・・ちなみに最近、クリニックの待合に「これをやれば人生必ずうまくいく」系の自己啓発本が置いてあるのを見つけて当時のことを苦々しく思い出したのと、相変わらず変わってないな、ここは、と苦笑してしまいました。

 

クリニックに行かされることになって間も無くして恋人とは別れました。完全に共依存でした。当時は私が病気だから悪いんだと思い込んだものですが・・・ここでBGM、「好きではないけど懐かしい」坂本慎太郎閑話休題

 

当時の私は、アルコール、過食、対人関係など色々なものに依存しないでは立っていられない状態でした。恋人と別れたことで、それまでのようにエネルギーを向ける対象がいなくなって、自分のために使える時間、一人で過ごさなければならない時間が増え、虚しさを振り払うために、ちょうどタイミングよく目の前にあった治療へと依存の対象を切り替えたんだと思います。加えて、何かに集中すると他のことが目に入らなくなってしまうくらい、そのことにのめり込んでしまうという昔からの性質も手伝って、私の脳内は治療それ一色になりました。カウンセリングにはバインダーとルーズリーフを持っていって、言われたことをほとんど一字一句メモして持ち帰って、毎日見返せ、毎日何回も見返すことで癖が直っていく、という主治医の言葉を信じて、帰りの電車に乗った瞬間から言われた通りにしてました。当時は人と喋ると頭が真っ白になってしまっていたので、事前に聞きたいことを書いていって、答えを余白に書き込んで帰って、日常生活の中でも気がついたことをメモして・・・なんてしていたら、バインダーもパンパンに。それを見た主治医に「おっ!頑張ってるなあ」なんて(←適当)言われてさらなる「頑張らなきゃ」完璧主義の強迫観念スパイラルへ・・・「なんでこんなストイックに・・・私ボクサーかよ」なんて思ってました。

 

話は少しそれますが、私はいわゆる(あえて言うなら?)アダルトチルドレンで、家の中では優等生の良い子ちゃんでした。小さい頃から自慢の娘、他の兄弟の見本で、反抗期もありませんでした。そんな私の思考の特徴として、失敗することを極端に恐れる、ダメな自分を認められない、ましてや人にダメなところを見せるなんて論外、というものはとても深いところに根ざしていて、今もあんまり変わっていません。そんな思考の癖を持ったまま、クリニックへ通うようになったので、結局場所が変わっただけで、今度は「良い(優秀な)患者にならなきゃ」「言われたことを完璧にこなさなければ」という思い込みに支配されるようになって、どんどんドツボにハマっていきました。

具体的には、毎日何度もノートを見返す、「癖が出てる」と感じた瞬間に言われたことを心の中で唱える(1日何百回も・・・)のに加えて、自分の病気についての本を「よくわかる」系から治療者用の治療マニュアルまで読み漁ったり、海外で有効な治療法として行われているものの実践本を買ってやってみたり、病気の本を読み尽くしたら、関連領域の本(主にAC・毒親・母子関係)まで手を広げていったり。毎日同じルーティンを設けろと言われていたので、1日のスケジュールは時間単位で管理してきっちりこなしてました。それから、ルーティンの1つとして書くことに決めた日記と、カウンセリングに向けて書くことにしていたメモ、その分量がどんどん増えて、1回でノート半分くらい書いたりすることもざらでした。空き時間にはとにかく書きに書きまくっていました。ルーティンとしてすすめられてバイトも始めました。苦手な接客業でチックが再発。それでも「毎日同じこと」。バイト・ジム・ノート・日記・勉強・・・自分の感情の自覚に乏しかった私ですが、さすがに「しんどい」と思いました。終わりが見えない。この先どうすれば良いのかもわからない。こんなに頑張っているのに、主治医が言うのは「まだまだこれから」。カウンセラーの先生に「今は治療を仕事だと思え」と言われたのを胸に、何とか毎日乗り切ってました。ブレーキかけてやってよ先生たち・・・

 

そんな生活が変わり始めたのは、自分で(頑張ってるアピールを兼ねて)始めた読書がきっかけでした。当時、アダルトチルドレンという言葉や由来は知っていても、自分とは無縁なことだと思っていた私でしたが、本を読んでみると、まるで自分の家の中が覗かれていたんじゃないかと思うくらい、酷似した色々な事柄・状況について書いてあって驚きました。恐る恐る有名な毒親本を読んでみたところ、当てはまると思う箇所が無視できないくらい多くてさらに衝撃を受けました。読みながら、「今、何か得体の知れない大きなことに直面しようとしている」と正直怖かったのを覚えています。当時、一人暮らしから実家暮らしに戻っていたのですが、時間が経つごとに調子が悪くなっていくのを感じていました。元々家を出たのも、家が嫌だったから。それでも私は認めたくなかったんです。「否認」に気づいた瞬間でした。私の病気の原因を作った犯人は親なのではないかと。雷に打たれたようでした。最後まで疑ったことはなかったから。疑う前に自分を傷つける方を選んでいたから。まさか、と思いました。でも、そう考えれば考えるほど、全てのことの辻褄が合い、身震いする思いでした。それに気づいた瞬間、心の1番奥底に抑圧してきた10数年分の怒りが、火山が噴火するみたいに一気に爆発するのを感じました。自分の中でマグマが煮えたぎり続けているかのように、何日経ってもその激しさ、熱さは収まることはなく、むしろ日を追うごとに苛烈になっていきました。それでも感情を表に出すことはしないで、表面上はまったくいつも通りに生活を続けました。

 

気づきと怒りについて、カウンセリングで話すと、怒りを表に出すことはしないように、「親対子」ではなく、「一対一の大人同士」という気持ちを持つように、との新しい課題が出されました。結論から言うと、私はそれをこなすことに全力を尽くしましたが、この時の課題が当時の私にふさわしいものであったのかについては、疑わしいと思っています。というのも、私はこのような感情を感じたことも、本人にちらとでも伝えたことも、一度もなかったからです。そのような状態でこの課題に取り組むことは、私にとってかなり辛く、精神状態はどんどん追い詰められて悪化していきました。課題と激しい感情の間で板挟みになった私は、自分の感じていることを告白するか───それは、自分がそれまで血が滲むような努力をして作り上げてきた良い子の自分は偽物だと告白することと同義でした───否か?という問題に突き当たります。答えは疑いようもなくNOでした。告白することは絶対できない、かと言って課題をこなし続けることももう限界がきている。「気づき」以降、家を出ようと思い、バイトのシフトを増やしました。でも、引っ越しの資金と数ヵ月分の生活費程度の貯金にしかならず、食べていくのに十分な給料を得られる時間分働いていくことは、自分には到底不可能に思えました。私の出した答えは終わりを選ぶことでした。「もうこれでいい」そう思いました。その頃には家にいると辛かったので、家族と顔を合わせないように長い時間外に出ていました。マクドナルドで、周りの客が喋っている声が、耳に水が詰まっているみたいに遠く感じました。「私とははっきりと別の世界の人たち」「完全に隔てられていて戻ることもできない」と思ったのを覚えています。出した結論は突発的・衝動的なものではありませんでした。私は数日の間をおいてそれを、決行しました。

結果は言わずもがな、今、こうしてこの文章を書いています。

 

そう、結論から言うと、私は今度は精神病院にぶち込まれることになりました。そこでみっちり3ヶ月過ごしました。よく、海外に行くと世界観変わるなんて言いますけど、私は入院生活の中で色々なことを見聞きしたり体験したりして、視野が広がって考え方も少し(結構?)変わったように思います。入院生活のことはあんまり面白おかしく書くと怒られるかな。でも不謹慎って言う方が不謹慎ってこともありますよね(と私は思います)。いや〜濃密でした。親との関係も、そこでカンファレンスを開いてもらって、正直な気持ちを伝えたことで、結局のところ良い方向へ向けることができました。今では仲は良好です。入院生活のことについては、またいつか書ければと思います。

考え方が変わったのを、端的に表してるのはこれかな。退院して初回のカウンセリング、しょっぱなに言った言葉です、「もう人格矯正はやりたくない」「私の話を聞くカウンセリングに変えて」

 

あれから2年半くらいになりますが、カウンセリングは私の要望通り、CBTはさようなら、緩い感じで続いています。雑談みたいな感じで終わることも多々あります(ボッチなので・・・)。カウンセラーの先生、きちんと距離をとって、気難しい私の相手をし続けてくれていることに感謝です。でも最近、ちょっと雑になってきてるね?って思うことが多いです。けど、先生のことは大好きなので、長く通ってる分ちょっと気が緩むのかしら?なんて喜んでます。(めでてー脳みそ)きもいね・・・

 

 

あれ・・・治療と診断について書こうと思ったのにな・・・まあいいか・・・

なんせとりあえず、いつまでかはわからないけれど、もうしばらくは今のところでお世話になると思います。

次は8月〜

 

 

今夜は「道」/ 折坂悠太

おやすみなさい。

 

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