吐露・本音
すべてのことにうんざりしている。
治療にも、(他の人との比較はもう抜きにしよう)苦しみを味わうことにも、戻らない過去について諦めようと自分に言い聞かせ続けることにも、まともなありうべき姿へかたちを変えられようとされることにも。
わたしは昔から「なじまない」
そしていっそう「なじまない」よう育った。
自分が一番よくわかっている。まともな生き方を───それは「自分らしい生き方」ということも含めて───することはできない。根性もなければはなからその気がない。
なぜ、なじまなければ、自分らしさを見つけなければいけないのだろう?わたしにはわからない。
なぜ、その気持ちをごまかして、生きなければならないのか?
なぜ、「自分を大切に」と言われるのか?
クスリやセックスはいけないことなのだろうか?
体を売ることは?
自殺は?なぜ忌避されるべきものとして扱われるのか?「死んだらおしまい」と言うのは、生きることを選んでいる人たちだ。
わたしからすれば、みんなの方が気が狂っているように思える。
わたし以外に、違う考え、歴史、人間関係、振る舞い、感情・・・そういったものを持った「対等」な生き物、他人、人間が存在するということの理解ができない。ゾッとしてならない。想像すると気が狂いそうになる。
いろいろ取り繕ってみたところで、わたしは人が嫌いなのだ。心から信用することができない。それを病と呼ぶならそうすればいい。
わたしは人間になりそこなったのだと思う。一方で、わたしだけが人間だとも思う。
この世界にわたしの居場所はどこにもないのだと思う。優しくしてくれる人はいる。だけどわたしは演技をしている。ありのままのわたしを受け入れてなんの見返りもなく愛してくれる人は、もうこの世界にはいない。
知らない星に飛ばされて、帰る手段を失った気分がする。
似たような言葉、だけど通じない。全く違う常識で生きる人もどきたち。
なじめない。帰りたい。帰ることは絶対にできない。
人間もどきに合わせて、あるいは、人間もどきが人間のふりをして、演技をするのに疲れた。
今死ぬことができるボタンがあったら押すだろう。
いなかったことになりたい。
「義務のように」 / 坂本慎太郎