aliens on a pink moon

日々感じたことの掃き溜め

オアシスと地雷原のはざまで

こんにちは。もう8月になりましたね。「こないだ紅白見たのに」って毎年言ってます。それから年明けるまでのスパンが年々すごいスピードで短くなってってます。出典は忘れたんですが、心理学的には、人生の体感時間って二十歳までが半分らしいです。怖い。

というわけで、梅雨も開けてこれから夏本番ですね。みなさん身体に気をつけてください。

 

今日の記事は7月の振り返りと最近あった出来事について。

 

※今回の記事は、アダルトな内容を含みます。18歳未満の方や抵抗のある方には閲覧をおすすめしません。また、私自身のメンタル・行動について、センシティブな(ネガティブな)内容が含まれているため、読まれることでご不快に思われる可能性があります。そのような話題について閲覧を避けられたい方はブラウザバックをお願いします。

 

 

 

7月は初旬。退院してすぐ、入院生活と家での生活とのギャップに心身を慣らす時間を取らずに&自分のキャパを把握せずに動き回ったものだから、時間差で調子を崩してメンタルブレイクしました。入院生活は(その中でコミュニティとかできたりする)意外と騒がしかったので、家に帰って来ていざひとりになると、しんという音が聞こえるくらい静かに感じました。後なんやかんやで看護士さんが(実際どれくらい期待を満たしてくれるかは別として)話を聞いてくれる役として居てくれたわけで・・・どうしても退行が避けられず、入院前には耐えられていた、抑うつと差し向かいの状態が怖くなってしまい、それもあってやたら動き回ってました。

入院、ごはんも出るしね。まずいとか言ってた人多かったけど、菓子パン生活で激太りした私としては出てくるだけでもーありがたい。一人暮らしではやらない魚料理とか。全然おいしかったです。

 

前回の記事↓

espoir-sansfin.hatenablog.com

で、ルーティンの話に触れました、3年前、ルーティン頑張りすぎて精神病院入院デビューすることになった私は、毎日同じことの繰り返しをする生活に対してアレルギーを発症し、退院後相変わらずこの話題を振ってくる主治医に対しても「へへっ…」でごまかしながら自堕落な生活を続けるようになってました。

 

7月はじめに調子崩してから、別に意識してそうしたわけではないのですが、結果的にちょっとしたルーティンを設けることになり、それが功を奏したのか?3週間くらい、この1年で1番調子いいくらいの穏やか&鬱がない&将来のことまで考えられる・・・という良い状態で過ごすことができました。

ただよくなってくると浮かんでくるのは次に絶対訪れるであろうがた落ちへの恐怖。実感としてはずーーっと上がった状態のままだったら、ギリ社会復帰も視野に入れて生活していけるかな?って感じ。で、案の定落ちました。原因は色々あると思います、上がったから落ちた、ホルモンバランス、これは仕方ないけど、またおんなじこと繰り返してたみたいです。ルーティンをやるのはいいけど、どんどん量が増えてってました。「やればやるほど偉い」→「やらなきゃ」みたいな強迫観念がまた・・・主治医には鬱のときに動ける量しか動くなと言われてるんですけど、鬱のときなんか鉛ですからね。ボンレス鉛。

 

それから、毎日同じ生活、淡々とした生活を繰り返してると、これはわたしの病気の症状としても書いてあるし、また性格の一部なのかなと思うのですが、退屈になってくるんです。これまでもジェットコースターのような生活を送ってきました。そんな中で、刺激希求が高くなってしまったのか、危ないこと、激しいことをしたくなってしまう・・・

 

そんなこんながあって、自傷行為、破滅的行為については色々やらかしてきたのですが、先日ついに、その中でも1番古株で、もう6年くらいおさまってたものを再発させてしまいました。

 

というのは、好きでもなく知ってる相手とでもない性行為です。

自傷行為の中でも自分の中で重たい(副作用が大きい)~軽い(比較的健康的な人にも見られるもの、生活に支障をきたさないなど)のランク付けがあるんですけども、こちらは1番重くて1番嫌いなものになります。

わたしは基本的に性行為に対しては潔癖かつ嫌な思い出があるので、知ってもいない人とそういうことをすると、自己嫌悪すぎてショックで頭が飛びます。それでその瞬間だけ嫌なことを忘れられる。けど、ショック(効果)が強い分、終わった後の自己嫌悪と抑うつ希死念慮は耐えられたものじゃないので、一人で過ごすことができなくて、結局間をあけずにまたその行為へのめり込んでいってしまう・・・ドラッグへの依存と似てると思います。同じ発散行動として、アルコールや過食、オーバードーズもしたことはあるのですが、そっち方面は副作用で身体がもたず、依存と言えるほど長い期間は続けられないことがわかっているので、最近ではほぼすることはなくなっていました。

 

自傷行為はほとんどしなくなっていたのに、なんでよりによってランク最上位のセックスなのか・・・。先日、理性を取っ払った状態で将来どうしたいか考える機会がありました。そうしたら、正直どうでもいいなと、ふだんの自分が軽蔑しているような人たちと同じになっても 、思考を止めてそのときの快楽だけ求めてやれることはやって、生活が追いつかなくなったら終わりで良いやというのが正直な気持ちだというのがわかりました。この数年、色々なことがあり、少しは変われたと思い込んでいたけれど、結局のところ、現時点でのどうしたいか?どうなりたいのか?は、10年前にぼんやりと抱いた将来のビジョンと全く変わっていませんでした。そのことに、自分への呆れを感じています。

この6年が、1度に無意味になってしまったような気がしています。励ましてくれた友達、家族、医療関係者の方々、そういった人たちの優しさにわたしはまったく値しない、信じてもらっているのに、期待に応えることができない、顔向けできない、みんなが遠くへ行ってしまったというより、自らそういった温かい人たちやものごとが属する場所から離れて、軽蔑されるのがふさわしい領域へひとり逃げ込んでしまった。なんでなんだろう。結局、不適合は不適合なのでしょうか。そうではなく、わたしは治るのが怖い、陽の当たる場所が怖い、そこでやっていく自信がない、だから不適応行動をすることで、そこから逃げて、自分はでき損ないだという観念にすがり付いて甘えているのだと思います。

 

どこにも書けない、誰にも話せないからここへ書いてしまいました。

した後の自己嫌悪は昔と全然変わってなくて、結局またここへ戻ってくるのか、これがふさわしいのかな、という気持ちと、やっぱり私には割り切ってそういうことをするのは向いていない、演技も、自分を曲げて相手が喜ぶよう合わせることも、作り笑いひとつでも、何かがどんどんすり減っていく、やっぱり私はこれをあっけらかんと続けられるような図太い女にはなれない(どの口が言うねん)という気持ちと両方あります。

たぶん数日は休むので、しばらくは自己嫌悪タイムだと思います。

 

最後まで読んでくださった方へ

お目汚し失礼しました。

 

夜にぴったりの曲です。

「頼りない天使」 / Fishmans

 

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