生まれ変わってみても栄光の女にゃなれない
こんばんは。三連休もおしまい、みなさまどうお過ごしでしょうか。
暑さも本格的になってきましたね。体調など崩されていませんように。
今日の記事はここ数日あったことのメモ。
※ 今回の記事は、前回記事(↓)同様アダルトな内容を含みます。また、売春に関する記述や、私自身のメンタルヘルスについてのネガティブな内容も含みます。今回の記事はかなりクズ丸出しの仕上がりになっています。18歳未満の方や、ご不快に思われる可能性のある方は、ブラウザバックをお勧めします。
前回の記事(↑)でも触れたのですが、自傷行為としての性行為が再発(6年ぶり)しまして、8月に入ってから一週間ほどぶっ続けで不特定多数とセックスして帰って寝て、起きてる間は相手探しと出かけの準備・・・のような生活を送っていました。
これが自分だけの問題で済めばいいのですが、このような時期に夜な夜な出歩くのは、間接的に殺人行為に加担しているのと同じ、わかっているのに止めないのは問題意識の大きな欠如、といい子ぶって書きたいところですが、主な原因は自殺願望が出てきていることかなと思います。
私の行っている性行為は、いわゆる金銭授受を伴う「割り切り」というものです。なぜ知人やセックスフレンドと関係を持つことを選ばないかというと、金銭のやりとりを間に挟むことで、距離感が保たれるから、遊びに慣れている相手に対象をある程度絞ることができるから、知人に自傷行為としての性行為を行う癖があること・自分の性交中の姿を知られたくないから、などの理由があります。
いわゆる援助交際を行う心理について・・・全部を自己分析してここに書く余裕が正直今はありません。というのも、正直、自傷行為としての効果及び副作用(自己嫌悪・希死念慮・肉体的疲労etc...)が強すぎて、疲弊しきってしまっているためです。こんな状態になるまで間をあけずに行為に及んでしまったのは、終わった後に一気に襲ってくる自己嫌悪等のネガティブな感情によって、一人で過ごすことが耐え難くなり、そこから逃れるためにさらなる刺激が必要になり、また行為に及び・・・の繰り返しをしてしまっていたからです。
メモ的に・・・
◯自分の肉体をお金で売ることについてどう考えているか?
6年前より3割ほど値段を下げないことには買い手が付かなくなりました。やはり若さ及びルックスが「価値」となる「商品=モノ」と言うことになるようです。そのことについては、多くの事柄について嘘をつくことができる、別人になって行為に及ぶことができるという点で気が楽でもあり、(自ら値段をつけて売り込んでおいて矛盾してはいますが)「人」ではなく「モノ」、「穴」としてしか見られていないのだなと思うと、やはり自分を自分で貶めているなという気持ちになります。「お金で買われることによって自分に価値があると感じられる」という言説がありますが、わたしの場合正直これについては微妙なところです。そうだと言われればそんな気もするけど、お金を払って遊ぶことに慣れている相手=タダマン求める相手より多少は安全かな(変わりません)という気持ちがあって割り切り応じてくれる相手を選んでいるところが大きいです。
◯どのような買い手がつくのか?
これについてはまちまちです。既婚者・子持ちで気晴らしで遊んでいるような人もいれば、真剣に恋人探しをしたいとうたっている人も(本当か?)います。声をかけてくる半数以上は無料での出会いを求めている印象です。遊び慣れている人はあまりガツガツしておらず、メッセージも丁寧な印象です。メッセージやプロフィールが雑、あるいは何か変だなと思う場合、会うとほとんどの割合でヤバイ人が来ます。わたしは後腐れない関係を求めているので、相手のパートナーの有無には特に拘らず、慣れていそうな人を選ぶことが多いです。そのあたりモラルが欠如しているなと(ここまできておいてわざわざ書くまでもないですが)思います。
・知人・友人に対する罪悪感・恥の感覚の増加による対人コミュニケーションの機会からの逃避・辛いという気持ちを発信することの諦め
・抑うつ感・将来の展望についての絶望感・自暴自棄
・(通常の生活で確保されていた)自分の時間の減少・ルーティンをこなすことができなくなったことによる生活リズムの乱れ(→さらに気分悪化を促進)
・肉体的疲労感・体の痛み
・病気・妊娠のリスクについての不安
・買い手募集の際にされる発言等についての不快感
・終わった後のネガティブ感情の爆発的増加による、依存形成のリスク(なりかけ)etc...
→結論:最悪
そんな一週間を過ごしてみて、肉体的にも精神的にも限界が来た & 今週以降やらなければならない予定が山積みでこんなことにかかずらっている場合ではない、今日やるか休むかで今週以降のメンタルの波が変わってくると予測されたため、今日はやめることにしました。
というか、こんなことをするのなら、黙ってやれよという話なのですが、長く来ていただいている訪問看護の方と、メンタルヘルス関連で知り合った付き合いの長い友達一人に話したところ、二人ともこんなクズのわたしに対して、とても真摯に向き合って話をしてくださったので、本当は今晩も出かける予定だったのですが、「本当はこんなことしたくない」という気持ちが表に出て、また、今晩出かけたら本当にクズだなと思って、やめることにしました。
自傷行為については、何年もおさまっていたものが急に普通に再発したり、悩まされていたものがいきなりおさまったりするので、今後この自傷がどうなっていくかは分かりません。というか、「なる」ものじゃなくて、「する」ものなのに、自然発生的なことのように書いてしまうわたしの意識に、問題があるのだと思います。
今晩も完全自己満足なお話失礼いたしました。
おやすみなさい。